藤原3代の栄華をたどる   平 泉



奥州藤原氏三代の遺体が眠る中尊寺金色堂、それを覆う鞘堂(さやどう)


かつての都をうるおした北上川(中尊寺境内から見る)

 中尊寺山門にて



この地で果てた義経堂にて
  


厳美渓


平泉の近く、磐井川の中流にある巨岩奇岩の渓谷・厳美渓がある

「夏草や 兵(つわもの)どもの夢のあと」
   芭蕉の有名な一句である。

一関市の北に位置し、征夷のころからの要衝の地だった平泉。
11世紀の末から約100年の間、奥州藤原氏によって、文化・経済・仏教の中心地として栄華をきわめた。
奈良の大仏修復に金が足りず、制作ができなかったところを、
藤原氏の多額な寄付によって、あの荘厳な金箔の仏像が再興された。
中央からも決して軽視できない一大勢力として、藤原氏は奥州を君臨した。
だからこそ、源頼朝はその力に脅威を感じ、秀衡の病死後、
義経の”奇行”を口実に、ことごとく滅ぼしてしまった。
もし、秀衡があと5年生き長らえていたら、
今も奥州第一の都市として、輝いていたかもしれない。
今となっては、中尊寺・毛越寺など史跡・名勝が、
ひっそり昔の面影を残すのみである。


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