
報国寺の地蔵

鎌倉の象徴・高徳院(鎌倉大仏) |
 明月院(あじさい寺)の六月 |

報国寺(竹寺)の竹林
報国寺/英勝寺/明月院/海蔵寺/ほか鎌倉雑景
銭洗い弁天で見つけた野性のリス
街の中心に、武門の神として手厚く祭られた鶴岡八幡宮があり、
そこからまっすぐ南・由比が浜へ向かって、若宮大路が長くのびている。
鎌倉の骨格はそれだけである。
あとはまるで毛細血管のような、細く行き止まりの小道がうねうねと、はり巡らされている。
鎌倉は見事に三方が堅い岩盤で囲まれた、自然の要害である。
治承四年(1180) この地を源頼朝が武門の本拠地として定めて以来、
150年の間、鎌倉は日本の政冶の中心地として機能した。
頼朝は、決して京に幕府を開こうとしなかった。
それは、日本の歴史上初めて、
天皇・貴族が政治の表舞台から、引きずり降ろされた事を意味した。
鎌倉の寺社は、 あでやかな貴族文化・平安仏教と一線を画し、ことごとく質素である。
国宝・円覚寺舎利殿や鐘楼を見ても、
「これが国宝?」と疑いたくなるほど、素朴な造りだ。
頼朝の墓に行ってみた。高さ1,5mほどの石造りの墓がひとつ、置いてあった。
これも驚くほど 簡素なものである。
鎌倉にある400ヵ所以上の名所・旧跡、ほぼすべてこのような作りだ。
それは、貴族社会に対抗する、徹底した武家社会の精神のあらわれ、と言えるだろう。
八幡宮の脇道をたった5〜600m入ったところに、 鎌倉幕府滅亡の地「腹切りやぐら」がある。
新田義貞に攻められ、北条高時 以下数百人が自害した場所で、
今はただ、小さなほこらと、塔婆が立つのみだ。
この狭い地に、約150年のドラマが繰り広げられ、幕引きもまた、あくまで質素。
後年になっても、鎌倉武士の精神を守り継ぎ、誰も墓を立派に作り替えようとはしない。

頼朝の墓 高時の腹切りやぐら(鎌倉にはこのようなやぐらが多数ある)