大和のとなりの国の足跡をたどる  吉備路


あまり全国的には知られていない、ここ吉備路
JR総社駅を中心に、古代、大和朝廷と隣接し、
ときには友好国として、ときには対抗した吉備国の足跡をたどる。

国分寺



国分寺=聖武天皇の発願によって創建された国分寺の一つ。
レンゲ畑から見える境内の五重塔(国宝)は、吉備路の代表的な景観になっている。


吉備津神社



 

吉備津神社<釜鳴りの神事>
この神事は、吉備津彦命に祈願したことが叶えられるかどうかを、釜の鳴る音で占う。「ご〜ん」と釜が唸ったら、願いが叶う。
記録では、少なくとも室町時代末期には都の人々にも聞こえるほど有名であったようだ。(くわしくはこちら
 

造山古墳

  造山古墳=全長約286メートルあり、全国でも第9位を誇る。
吉備にこれだけの古墳があったことは、かつて大和に対抗する、
一大勢力が存在していたことを示している。


<<桃太郎鬼退治の真相は?>>

第10代崇神天皇の御代になると、朝廷の倭国統合は進む。
が、まだまつろわぬ者(服従せぬ者)が地方には多くいた。
そこで、その討伐のため、皇族の中から四人の将軍を選び、
それぞれ北陸道・東海道・丹波・西道(山陽道)へ地方討伐にでかけることとなった。
これを四道将軍といい、吉備津彦は山陽道へ派遣される。
そこで吉備津彦は、”桃太郎伝説”のとおり、吉備国で”鬼=温羅=百済皇子”と会い
退治することになるのだが、どうも私には、符に落ちない点がある。

なぜなら、少なくともこのとき、吉備国は”温羅”には困ってはいたが、
大和からは、未だまつろわぬ民だったはずである。
ところが、温羅退治を経て吉備津彦は英雄視され、ここの神となって祀られてしまった。
これはいったいどういう事か?
私が思うに、つまりこのとき、吉備国は温羅退治を名目に、
大和軍である吉備津彦らに、併合されてしまったのではないだろうか?
「鬼が降参し、世の中が平和になりました」という”桃太郎”のラストの裏には、
「鬼が降参し、吉備国も大和に従い、吉備国と大和国では争うことがなくなり、平和になりました」
という真実が隠されているように、私は思うのだか‥。

<<Back>><<TOP>>