【米Web】稲にこだわる-本の紹介【米蔵SERS】
『稲の道』などの著書でも有名な渡部 忠世さんが日本の稲作にこだわった気持ち
をストレートに表題にし、稲作や農業の問題は単に農村だけの問題なのではなく日本全体の土台に
関する問題である。それ故、自国での稲作の維持や食料自給が大切なのだということを、農業に
携わらない都会の人を含めた多くの人たちに向けて平易に分かりやすく書いた本です。
この本は3章に分かれており、1,2章は新聞のコラムに長く連載したものなどがおさめられています。
1章は稲や日本の文化のことをめぐっての述懐、2章は、より日本の農業の未来に焦点をあてた内容
となっています。3章には稲と民族
などの事について、著者と民族学者の谷川健一さん、民族文化映像研究所所長の姫田忠義さんとの対談
がそれぞれおさめられています。このような構成なので各章のテーマに添い区切りよく短くまとまった
話が集まっており、難しい本を読破するというような気負いもなく、読み易く感じられます。
とはいえ、普段忘れがちでいたことに気づかされ「はっ」とさせられたり、心を動かされる
箇所がいくつもでて来ます。その読み易さとは対照的に内容は濃いものとなっています。
ここで印象的だった箇所を幾つか挙げてみます。
- 米と稲という言葉の区別へのこだわり(これは私もWebサイトを立ち上げるときに一番始めに
意識していた事だったので、同様の事が書いてあることを発見し、嬉しくなりました。)について
書かれています。米は稲という作物の種子の部分にあたり、ここが商品になって米として販売されていたり
、米と呼ばれていたりということが曖昧に表現されるような傾向にある事に触れ。正しく表現
するということは些細なことのようだが、案外に大切だと指摘しています。例えば米と稲の関係が
正しく認識されなければその場所の土壌や気象などに代表される風土に何の役割があるのか理解し
にくくなるというようにです。
- 2300ヘクタールにも及ぶ水田を持つ、アメリカ、カリフォルニアの国府田農場の総支配人
だった鯨岡辰馬さんが『コメ自由化はおやめなさい』(ネスコ刊)という本を書き、米の自由化が
稲作だけでなくやがて日本の農業や食文化を崩壊させてしまう事を憂慮して、その危険性と愚かしさ
を訴え、米の自由化に反対する立場だったことを紹介しています。
- 棚田保全の意味は単に景観美の問題としてや、センチメンタルな環境保護論にとどまって
しまうべきではなく、私達の先祖が祈り願った原点にまで立ち戻って我が国にとって米ひいては
食料の自給を高めることの大切さやその決意を表明する運動として継続されることにあると書かれて
います。
- アジア各地の伝統農法の事を取り上げ、それらの中には環境との調和に優れた農法があるのに
もかかわらず、それが単なる民族事例として取り扱われてしまう傾向にある事を問題視し、その基層
にある思想をくみ、技術内容を正しく評価した上で、近代農学、近代農業に対置する「東洋農学」
「東洋農法」とでもいうべき領域に理論化する必要性について書かれています。
- 環境汚染といえば工業の側の加害が主に注目される。それは確かに由々しき深刻な問題ではあるが
、農業による環境汚染についてもまた、考えられなければならないということについて書いてあります。
- 近世における村というところには農業のみでなく、工業があり、商業があったことを、また、百姓が必ずしも農民でなかった
と指摘した網野善彦さんや柳田国男さんの主張を取り上げ、日本では都市と農民が共生していた、つまり
農業者のいるところと非農業者のいるところという二項対立的な表現型として村と町があるのではな
かったことについて説明しています。(山間地の水田に行く機会が増えて行く中で私にも以前から、
網野善彦さんや柳田国男さんの話に思い当たる部分があります。それについてはいずれ機会が
あれば話したいと思いますが、ここで渡部さんが取り上げた都市と農村が共存していたという
話にはこれからの日本の農業のあり方についての重要な示唆が含まれている様に私には思えます。
それは単に都市と農村が交流して仲良くなるというような情緒的な事ではなく、日本人の多くは
温帯モンスーンに代表される変化と多様性に富む環境に適応した意識、すなわち
自然の上に立つ意識ではなく自然に溶け込んで共存するという意識を居住地に関係なくもっており、
それが現代の私達の感覚のどこかにまだ受け継がれているなら、農業を自然と共存する産業として
発展させうるのに非常に近いところに日本人は位置しているのでは
ないかという事なのだと思えたのです。)
- 京都大学農学部は探検をしながら学問をする伝統のようなものがあると書かれている所があるの
ですが、すでに抽象化された場所からではなく、現場(ここでは自然環境ということになるのだと
思うのですが)から得られた感性をきっかけとした研究とその成果にはなにか感銘を受けるといいます
か強い説得力があるように思えます。
- 日本文化の特異性だけを強調しすぎると日本がアジアという一つの文化体系からはずれてしまう
可能性があることを指摘し、アジアモンスーン地域に日本的食文化に非常に似た
ものを持っている民族がいる事を紹介し、グローバルな視点で展開して行くというのが今後の日本を
考える大きな手がかりになるかもしれないと書いています
読み終えて感じられたのはやはり、日本の稲作の問題は既に抽象化された
水田とそのすぐ側にある空間の事を考えるているだけでは解決できないだろうということでした。
人間によって抽象化された空間だけではなくそれ以前からあるありのままの状態をも、言い換えると
画一的な農業のスタイルを人為的に作るだけではなく、周囲にある自然そのものの働きをも、解析して行く勇気をもつことが大切で、
そういう姿勢からなにか新しい農法が生まれるのではないかと思いました。それともう一つ感じられた
のは、農業はその場所の風土とよく関係しているということです。そしてもし風土が思考を左右する
なら原点、すなわち日本人とは一体何なのかという、歴史を遡る視点もまた、日本の稲作を考える上で
重要なのではないかと日頃思っていることをここでまたあらためて感じました。
(2004/06/16 追記 東)
[ホームへ]
[米蔵SERSについて]
[私達の考え方]
[用語集]
[用語一覧]
[お知らせ]
[生産地情報]
[私達の米販売について]
Copyright(C) 2002-2004 米蔵. ALL Rights Reserved.
このサイトに関するご意見、ご要望は米蔵までお願い致します。